青春の続き。楽しかったあの時をもう一度。

石田三成 年表

 
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こんにちは。歴史大好きバイカーのkickです。 当ブログ、「歴史大好きバイカーkickのキクログ」を運営しています。 神奈川県在住。1981年生まれの40歳。1児の父です。既婚。 現在は会社員として働く傍ら、ブログコンテンツ制作、情報発信、メディア運営などをしています。 記事の内容は、ほとんどが自身で実際に経験してみた物事を記事にしています。 このブログでは、僕と同世代の方たちが、楽しい人生を過ごすことをサポートする目的で運営しています。 誰にでもあった「楽しかったあの頃」 このブログを通して、その続きを楽しむことができたなら幸いです。 だから、キャッチフレーズは、 「青春の続き。楽しかったあの頃をもう一度」なのです。 マイペースに更新していきますのでみなさまどうぞよろしくお願いいたします。
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おはようございます。歴史大好きバイカーのkickです。

今日は石田三成の年表です。

個人的に石田三成は大好きな武将です。ま、戦国無双の影響が強いんですけどね(笑)

みんながみんなイケメンではなかったのでしょうが、人物像が写真で残っているわけでもないですし、

絵としては残っていますが、あの絵ではどんな顔かまでは想像できませんから、自分の良いようにとらえて良いと思います。その方が楽しいし、興味も沸くし。何より自分で楽しめるのが一番だと思います。

 

石田三成 年表

石田三成の家紋

出来事
1560年 0 石田政継の次男として近江国坂田郡石田村に誕生。幼名は佐吉。
1574年 14歳 三献茶を通じて豊臣秀吉に仕官。小姓として仕える。
1582年 22歳 6月に本能寺の変が起きる
1583年 23歳 賤ヶ岳の戦いに参戦
1584年 24歳 小牧・長久手の戦いに参戦
1585年 25歳 秀吉の関白就任に伴い従五位治部少補に叙任される。この翌年、島左近を知行の半分を与えて召し抱える。
1587年 27歳 堺奉行、博多奉行となる
1588年 28歳 美濃国を検知
1589年

29歳

小田原征伐に参陣。忍城の攻撃を命じられ水攻めを試みるが失敗
1592年

32歳

文禄の役 増田長盛や大谷吉嗣と共に漢城に駐留。朝鮮出兵の総奉行を務める
1593年

33歳

碧蹄館の戦いに幸州山城の戦いに参加
1594年

34歳

島津氏、佐竹氏の領国を奉行として検知
1595年

35歳

秀吉の命により秀吉の甥、豊臣秀次を謀反の嫌疑で糾弾する
1596年

36歳

近江佐和山領内に十三か条掟書と九か条掟書を出す

京都奉行に任命される

1597年

37歳

慶長の役。国内で後方支援を行う
1598年

38歳

・小早川秀秋の領地を与えるという打診があるがそれを辞退

・蔵入地の代官に任命され、名島城を与えられる

・8月、主君豊臣秀吉が死去。

嫡男豊臣秀頼が家督を継ぐ。

・徳川家康の暗殺を企てる

1599年

39歳

・家康の無断婚姻を糾弾し、大老前田利家らと家康に問罪使を派遣する。これについては家康が誓紙を交わし和睦。

・大老前田利家が病死

加藤清正、福島正則、黒田長政ら七将が三成の大阪屋敷を襲撃。家康の次男結城秀康に守られ佐和山城に蟄居させられる。

 

 

1600年

40歳

・上杉家の家老直江兼続らと家康排除の挙兵を計画する。

・7月徳川家康が会津征伐に赴く。

・7月12日兄、正澄を奉行として愛知川に関所を設置。会津征伐に向かう西国大名を自軍に与させる。

・7月13日諸大名の妻子を人質にする作戦も細川忠興の妻の壮絶な最期をみせられ中止させられる。

・7月17日毛利輝元を西軍の総大将にして大阪城に入城させる。

前田玄以・増田長盛・長束正家の三奉行連署にて家康の罪状13か条を書いた弾劾状を諸大名に交付。

・7月18日伏見城の戦い。甲賀衆の家族を人質に取り脅迫。城門を開けさせ伏見城を陥落させる。

・8月2日伏見城陥落を諸大名に伝えるべく毛利輝元・宇喜田秀家らと連署にて全国に交付。

・8月14日東軍の西上が思いのほか早く、大垣城から美濃で食い止める作戦を改め関ヶ原での野戦を挑む。

・9月15日関ヶ原の戦い。当初は西軍優勢も小早川秀秋や脇坂安治らの裏切りにより西軍は総崩れになる。三成は戦場から逃走。伊吹山に逃れる。

・9月18日佐和山城が落城

・9月21日田中吉政の追補隊に捕縛される

・9月27日大阪に護送される

・9月28日小西行長、安国寺恵瓊と共に罪人として堺を引きまわされる。

・9月29日京都に護送され京都所司代の監視下に置かれる

・10月1日徳川家康の命により六条河原で斬首される。

首は三条河原に晒された後京都の大徳寺、三玄院に葬られる。

まとめ

石田三成の年表は・・地味ですね。これから年表ではわからない石田三成の人柄や考え方などがわかるエピソードを探して紹介して行きますのでお楽しみに。

それでは、さいごに三成辞世の句を。

 

筑摩江や 芦間に灯す かがり火と

        ともに消えゆく 我が身なりけり

 

それでは。また。

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