青春の続き。楽しかったあの時をもう一度。

石田三成が貫いた旗印に示されている3つの「義」

 
石田三成の家紋
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こんにちは。歴史大好きバイカーのkickです。 当ブログ、「歴史大好きバイカーkickのキクログ」を運営しています。 神奈川県在住。1981年生まれの40歳。1児の父です。既婚。 現在は会社員として働く傍ら、ブログコンテンツ制作、情報発信、メディア運営などをしています。 記事の内容は、ほとんどが自身で実際に経験してみた物事を記事にしています。 このブログでは、僕と同世代の方たちが、楽しい人生を過ごすことをサポートする目的で運営しています。 誰にでもあった「楽しかったあの頃」 このブログを通して、その続きを楽しむことができたなら幸いです。 だから、キャッチフレーズは、 「青春の続き。楽しかったあの頃をもう一度」なのです。 マイペースに更新していきますのでみなさまどうぞよろしくお願いいたします。
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こんばんは。歴史大好きバイカーのkickです。今日は石田三成の続きの話。

年表だけだと三成はなんか地味で面白みがない人みたいな感じなので、そうじゃないんだよ!

と言わんばかりに三成について調べてみました。

石田三成はどんな性格だったんでしょう?家臣や領民からの人望篤い人だったとも聞きますし、その逆も聞いたことがあります。そんな三成の性格は残されている資料から推測するしかありません。

三成好きのぼくとしては、正直良いほうを信じたいと思います。というか、良いほうを信じる。

歴史はそのほうが楽しいですからね。

 

今回は三成が貫いた3つの義についてです。

その3つの義とは、忠義・仁義・大義の3つです。

主を変えることも、下克上で自分がトップに立つことも良しとされていた時代に

秀吉と共に生き、秀吉と共に死んだ石田三成。

秀吉の亡き後にみんな徳川家康に流れていく中、

秀吉への義のために立ち上がった石田三成。その義とはどんなもの?

 

戦国時代の主従関係

日本刀の画像3

戦国時代の主従関係は一部を除いて確固たる絆というようなものはありませんでした。

戦場で立てた武功を「利」で測り、それによって得た評価に納得がいかなければその主君から去っていくのが当たり前の時代でした。当然、恩顧という考え方も、忠義なんて言葉だって戦国時代には存在していませんでした。

「義」(=人として正しい生き方)という考え方を持っている武士なんてほとんどいない時代です。

主君を8回も変えている藤堂高虎だって不義、不忠義ではないし、批判されることだってありませんでした。だってそれが当たり前だったから。現代から考えると、民度が低いなと感じてしまいますね。

それと同時に思想とか、学問とかって本当に大事だなって感じますね。

そんな時代背景だったから、石田三成の豊臣政権への忠誠心は戦国時代には珍しい主従関係でした。

 

三成の「義」とは?

BenL / Pixabay

石田三成の義とは、豊臣秀吉への忠義・仁義・大義の3つからなります。

近江国坂田郡石田村に生まれた三成は、村で郷士だった石田藤左衛門政継の3男として生まれて、幼名を佐吉と言いました。父の石田政継は浅井長政に仕えていたが、浅井家が滅亡したので石田村に戻ち、

村長として暮らしていました。政継は弓矢の稽古場を作ったりと、武芸には一通りの嗜みがあり、

立花(活け花の様式の一つ)や和歌、古典などにも造詣が深く文武両道の人物でした。

そんな政継は幼少のころから利発で学問を好み、落ち着いた性格の佐吉を寺に入れました。

佐吉を僧にするつもりなど最初からなく、理由は一流の学問を身につけさせたいという親心からのことでした。

そして、この寺(大原村の観音寺)で有名な三献茶のエピソードで秀吉に出会い、

秀吉は三成の頭脳明晰さと冷静沈着な面に目をつけて、即座に三成を近習として臣下に加えました。

 

秀吉はこの時、すでに故郷の尾張から三成と同年代の福島正則、加藤清正、加藤嘉明らを召し抱えていました。彼らは出発点から武功派で、槍働き一つで自分の命を的にして戦い、武功をたてていくスタイル。

これも秀吉への忠義の形です。それに対して三成は華々しい武功ではなく、むしろ兵站などの裏方を担当することが多く、秀吉の天下取りが定まるころには主に内政に力を注ぎ、秀吉政権を盤石に導いていきました。これも秀吉に対しての忠義です。

おなじ忠義でも三成のものと正則や清正のそれは大きく性質が違っています。

秀吉にとってはどちらも必要な忠義であっても武功派には三成の忠義は「おべっか」や「へつらい」に見えてしまいます。彼らの見方がもう少し違っていたら歴史も現在のものとは違っていたかもしれません。

 

五行の徳に裏打ちされた三成の仁義

 

「五常の徳」という儒教の最高徳目があります。「仁・義・礼・智・信」の5つからなるものです。

当然、幼少のころから学んできた三成は五常の徳を理解していたと思われます。

「仁」・・他人に対する思いやりや慈しみや情け深さ。

「義」・・私利にとらわれることなく勇気をもって人として正しい生き方や正しい道を踏みしめること。

「礼」・・相手に敬意を抱き、自らを律すること。

「智」・・善悪を判断できる能力を持つこと

「信」・・誠実であり、約束を守り友情に篤く真実を実行すること

三成の「義」はこれら五常の徳に裏打ちされた人間としての最高の徳を実践していく事でした。

 

三成の仁義とは領民や家臣に対して、慈しみをもつという義。

三成は、領内に掟書を示して、自らの統治基準を明らかにしました。これは細かく制定した掟で、

「役人が農民を徴用できるのは農閑期のみ」

「農地を耕作する権利は検地帳に記された農民にある」

「農民が困窮した場合には訴状を提訴できる」

「秋には稲刈り前に田の状況をみてから年貢率を決める」

というように、透明性と公平性に富んだ内容でした。農民でもわかるようにひらがなを多く使用して書いたようです。ここに三成の人柄が表れていますね。ほんと、カッコイイ。

また、三成の仁義は家臣の構成にも表れていて、

「主君から与えられた恩賞を残すものは不忠者である。」

「すべて使い果たさなければならない。それも、優れた家臣を養うために使うのが最良である。」

「自分の暮らしなどに贅沢をするべきではない」という風に示しています。

 

三成が秀吉に仕えたころにはたった一人。家臣は0からのスタートでした。

それが関ヶ原の合戦の時には5000人以上の大軍団となり、しかもみんな一騎当千の猛者ばかりだったといいます。まさに上記のことを実践していったのですね。

三成は優れた家臣を養うために、島左近のように一本釣りした武将もいれば、

改易(取り潰し)になった旧大名家の家臣もいました。

とくに改易になった旧大名家の家臣を取り立てたのは三成の仁義そのものだと思います。

秀吉によって自刃に追い込まれた豊臣秀次の家臣団「若江八人衆」を好待遇で召し抱え、路頭に迷わせないように図ると同時に一騎当千と言われた武将を配下に置きました。

 

石田三成の大義

武者の画像

3093594 / Pixabay

三成の「義」は詰まるところ「大義」だったのです。

大義とは、「人の踏み行うべき大切な道義。特に国家に対して尽くすべき道ということ。」

これを理解してくれていたのが、家老の島左近でした。

横柄な人柄で人望がないと言われていた三成が、実は領民や家臣団からは人望の篤い領主・主君であったことも理解してくれていました。

 

福島正則や加藤清正のように戦場の武功だけで果たした出世とは異なり、常に秀吉の陰で生き、

秀吉の負の部分までも一身に受けて汚名を着る事さえも潔しとしたのが三成の生き方でした。

何故なら、それは秀吉こそが戦乱を鎮めてこの世に平和をもたらす人物と信じ続けた三成の覚悟だったからです。

 

「三成に過ぎたるもの」の一つとされた島左近は三成の家老として三成に不足している部分を補いながら仕えました。

左近は多くの大名に高禄で誘われていましたが、断り続けていました。その左近が資金もなく、大した地位もない三成に15000石で仕えたのは「信」と「義」に生きる三成が戦国の世には珍しい「誠意の人」と左近のめには映ったのでしょう。

 

三成の大義はその旗印「大吉・大一・大万」に示されています。

これは「一人は万人のために。万人は一人のために。それにより世の中に大きな幸いと幸福をもたらすことができる」といった意味の込められた旗印です。

三成にとってのこの旗印は「大義」の旗であり、

これを掲げることによって秀吉による戦国時代の終わりと、

やっと訪れた平和の時代を世に示したものだったのでしょう。

 

やはり三成は家臣・領民に人望篤い、いかした男でした!!

それでは、また。

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