青春の続き。楽しかったあの時をもう一度。

軍師の仕事 兵站・陣城編

 
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こんにちは。歴史大好きバイカーのkickです。 当ブログ、「歴史大好きバイカーkickのキクログ」を運営しています。 神奈川県在住。1981年生まれの40歳。1児の父です。既婚。 現在は会社員として働く傍ら、ブログコンテンツ制作、情報発信、メディア運営などをしています。 記事の内容は、ほとんどが自身で実際に経験してみた物事を記事にしています。 このブログでは、僕と同世代の方たちが、楽しい人生を過ごすことをサポートする目的で運営しています。 誰にでもあった「楽しかったあの頃」 このブログを通して、その続きを楽しむことができたなら幸いです。 だから、キャッチフレーズは、 「青春の続き。楽しかったあの頃をもう一度」なのです。 マイペースに更新していきますのでみなさまどうぞよろしくお願いいたします。
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こんばんは。歴史大好きバイカーのkickです。今日は軍師の仕事 兵站・陣城編です。

兵站というと、物資の補給や人員の配置など、あまり目立たない・というか、裏方。

とても地味な仕事のように見えますが、その実は戦の勝敗を分けるくらい重要な事でした。

 

しかしその地味な作業を黙々としてくれる裏方さんがいてくれるからこそ、十分に才能を発揮できる人がいるのも事実です。

 

今の自分の結果を、すべてが自分の力だと過信せずに、

支えてくれる人がいること・手を差し伸べてくれている人がいるからこその結果だと気づける人と、

気づけない人では、大きな差が出来てしまうのではないでしょうか。僕はそう思っています。

さて、それでは行ってみましょう。軍師の仕事 兵站・陣城編です。

兵站・陣城

おこめ

koginchin / Pixabay

拠点の設営と物流が合戦の命運を握る。

合戦の長期化によって軍師たちは戦い方の変更を余儀なくされました。

陣城を作って攻撃の拠点として、兵站の確保によって増大する軍勢を機能させました。

 

戦の仕方は時代によって変化します。戦国時代でも、前半と後半では戦い方がかなり違っています。

その要因の1つは、織田信長が推し進めた兵農分離です。

 

半農半士の時代の戦は短期決戦で一騎打ちに近く、動員数も2~3千くらいでした。

しかし兵農分離が進むと、軍隊が誕生し、合戦は長期化して、動員人数も万単位になりました。

 

もう一つは信長が導入した陣城を活用した戦術です。陣城は付城とも言われ、標的となる城の近くに築く臨時の砦のこと。

 

1570年、信長は佐和山城の周囲に猪垣と呼ばれる包囲網を作り、四方に砦を構えて連絡網を封鎖しました。身動きの取れなくなった守将の磯野貝昌は、6か月後に投降し、無血開城されました。

 

信長の陣城はやがて秀吉に受け継がれ、発展していきます。

この陣城のような包囲戦の最大の利点は戦わずして勝てること。

援軍の到着を阻止して兵糧などの物資搬入を完全に遮断すればやがて敵は孤立し、投降します。

自軍の犠牲を払わずに確実に勝てるこの包囲戦は秀吉の得意戦術となりました。

 

軍隊の生命線となる兵站の重要性

補給

ronymichaud / Pixabay

戦が大規模化し、作戦が複雑化すると最優先の課題が兵站になります。

戦況に応じて兵糧や弾薬を補給し、適切な後方支援で戦線を保持します。

そのための経路の確保と、人員や物資の輸送管理能力も必要とされます。

 

さらに戦地の情報収集能力や戦況予測能力、数万の大軍となれば大量の兵糧を無駄なく調達する計算力も必要とされました。

 

兵站が勝敗のカギを握ることは、1590年の小田原城攻めでも証明されています。

小田原城に籠城する北条氏は、かつて武田信玄や上杉謙信の攻撃を凌いだ経験を持ち、総構えと呼ばれる秘策の防衛線を備えた城の防御力に絶対的な自信を持っていました。

 

秀吉の大軍が21万になろうとも、長期戦になればいずれ兵糧が尽きて撤退すると読んでいました。

ところが秀吉は事前に大量の兵糧を買い付け、それを運搬する船と補給路まで確保していました。

 

結果、北条氏の籠城は3か月にも及びましたが、結局開城するしか道は残されていませんでした。

 

この例からわかるように、兵站は勝敗の明暗を分けるまでの重要事項となっていました。

 

兵站を得意とした軍師 石田三成

輸送

PublicDomainPictures / Pixabay

賤ヶ岳の戦いにおける兵站で兵糧奉行として貢献した石田三成。

勝利を決定づけた「美濃大返し」は、三成の完璧なサポートがあってこそ成功したもの。

秀吉と1万5千の軍勢が大垣から木ノ本までの約53kmを5時間という驚異的なスピードで

折り返すのは裏方の支援なしではありえない。

三成は移動ルートにあらかじめ秀吉の馬を用意し、先方隊を派遣した。

各所で炊き出しを行い、馬のエサも用意していた。

さらに沿道の民に松明を持たせて街道を照らさせた。

地元の民に食料や資材の蓄えなどないだろうから地の利に詳しい三成が適切に手配し、

人員を動員して配置させたと思われる。

 

また、足軽隊が槍も持たずに手ぶらで駆け抜けたという伝承もある。

これも三成が長浜城の武器庫から木ノ本周辺まで運搬させたものと言われている。

 

まとめ

半農半士から兵農分離が進んで軍隊というものが誕生する。

当然、支配地を広げるためには戦いが必要で、戦いに勝つには敵よりも大きな戦力がいる。

それが戦闘員の数であったり、優れた武器であったり。

当然、人数が居れば色々な作戦を考えて戦えるわけで、数が少ないよりは有利になる。

当然ですね。敵の兵力が半分なら、単純計算で敵1人に対して自軍は2人で戦える。結果は見えてる。

そうして誰もが有利な条件で戦いたいからどんどん兵士は増えていき、戦が長引く。

戦いが長引くとお腹もすくし、喉だって乾く。体調がすぐれないと兵士が最高のパフォーマンスを発揮できなくなるから兵士がベストな状態で戦えるための裏方さんが必要になってくる。

当然の流れですけど、いきなりそれをうまく計算して管理していた三成はすごいですね!!これは才能としか言いようがないのではないでしょうか。

美濃大返しでは電話とかないし、通信手段も限られているのにどうやってそれだけうまく段取りをつけたのでしょう??ここまで主君のために段取り良く出来るともう、ちょっとくらい戦が下手でもカッコいいですよね!?

僕は段取り悪いんで、三成みたいな頭のいい人に強いあこがれを抱いてしまいます(笑)

それでは、また。

つづきはこちら

軍師の仕事 治世・城下町編

 

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