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軍師の仕事ってどんな事?布陣・軍略編

 
将棋盤
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神奈川県生まれの38歳。妻一人、子一人。 好きなモノは日本史と戦国武将・日本刀・鎧・兜・バイク・ツーリング各種・釣り・登山。今まではバスケットをやっていましたが加齢とともに体がついていかなくて引退。一人でできるスポーツ探してます。 更新に時間がかかりますが、マイペースにゆっくりと更新を続けていきますので皆様、気長にお願いします。
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こんばんは。歴史大好きバイカーkickです。

さて、前回軍師とは何者か?的な記事を書きまして、

その続きで今度は軍師ってどんな仕事をしていたのかを調べてきました。

なんか軍師っていうと本陣の武将の横で扇みたいなの持ってヒラヒラしてるイメージだったのですが

ホントの所どうなんでしょう?(まあ、そんなわけないのはわかりきっていますが。)

僕も武将や剣豪とか、イメージしやすいものはとっても好きなのですが、

軍師とかって「智力で戦うってカッコイイ!!」「なんか作戦とか考えて兵士を動かすんでしょ」っていうイメージくらいで正直あまりわかっていなくて。

それでどんな感じなんだろうと調べてみたのですが、これが意外に面白くて興味深い。

占星術や陰陽道・修験道。

そして兵法を書物を学んで合戦に活かし、外交までこなす。

軍師ってすごい!そしてかっこいい!ちょっと憧れてしまいました。

今回は軍師の仕事の中の一番の花形。布陣と軍略編です。

 

軍師の仕事 布陣と軍略

本の画像

jarmoluk / Pixabay

「武経七書」が日本に伝来。この7つの書物は日本の軍師の兵法を学ぶための教科書となります。

兵法とは戦術・軍略を研究する古来の軍事学のことで、手本とされた7つの兵法書が

孫子・呉子・尉繚子(うつりょうし)・六韜(りくとう)・三略・司馬法・李衛公問対(りえいこうもんたい)の7つ。

このなかでも特に著名なのが兵法家の孫武による「孫子」

三国志で有名な魏の曹操も注釈書を残しているし、あのナポレオンも孫子を愛読していたというのだから物凄い。

 

というわけで戦国時代の武将・軍師たちも武経七書から兵法の習得に日々励んでいました。

現在に残されている書物からも「孫子曰く・・」「三略で云う~」といった記述が発見されることから日本の軍師・武将が武経七書の影響を大きく受けていたことが伺えます。

 

もともとは呪術者・陰陽師的な役割が強かった軍師は、

占術師・陰陽師として助言や儀式を行うのが主な仕事だった。

そこに兵法にも通じている軍師がいれば、軍事相談役として重宝されるのは当然の流れですね。

 

戦国大名が台頭してきて大規模化していけば、戦略・戦術が複雑になります。

そうなると、兵力の増強や補給体制の確立、兵士の装備の拡充や有力な豪族を取り込むなど、

勢力を拡大していく事が重要な課題となりました。

 

軍師は兵法にも通じ、実践的な知識と経験もあり、教養が高く交渉術にも長けている。そして人脈も幅広くもってます。時代の流れによって軍師は活躍の場を広げていき、

いつしか戦略や戦術も立てる参謀的な立場へと変わって行きました。

 

戦国の軍師が駆使した戦術は陣形 どうやって勝つかをイメージする

武者の画像

3093594 / Pixabay

戦国時代の軍師が駆使した戦術はズバリ、陣形です。

陣形とは戦を有利に展開するためにいかに人員を配置するか。

その装備はどうするか、などをパターン化したものです。

規律を定めて人員の孤立や混乱を防ぎ、迅速に的確に部隊を動かすためのフォーメーションです。

これは通信機能や指揮統制を確立して機動力を向上させるためにも不可欠なものでした。

 

陣形を選択して合戦の筋書きを立てるのも軍師の仕事。

戦場の地形・天気、敵の布陣と戦力の差、両軍の兵士の士気の差んど、あらゆる条件を踏まえて最適な陣形を判断し、体制を整えます。

もちろん、戦況は刻一刻と変化していきますので柔軟な対応と臨機応変に反応できる能力も求められました。

 

「続日本記」では、8世紀にはすでに「方」「円」「曲」「直」「鋭」からなる五行の陣が実施されていたといいます。しかし日本を代表する陣形と言えば甲斐の武田信玄が編み出した「武田八陣」

ではないでしょうか。呉子や孫子、諸葛亮孔明ら兵法化に重宝された「八陣の法」軸にしたもので、

日本には平安時代に伝えられ、戦国時代に実践を通して磨かれたといわれています。八陣は

 

「魚鱗(ぎょりん)」 「鶴翼(かくよく)」

「雁行(がんこう)」 「彎月(わんげつ)」

「鋒矢(ほうし)」  「衡軛(こうやく)」

「長蛇(ちょうだ)」 「法円(ほうえん)」と呼ばれ、

これをベースに武将・軍師は独自の陣形を生み出していき、合戦に役立てていました。

 

まとめ

戦国時代には当然のように通信機器などはなく、伝達は人の手で行われていました。

それはとても大変で、指示を正確に伝えることは至難の業だったのではないかと思います。

 

その中で、通信機能を作ってある陣形をとることと、その陣形を崩さないことというのは、

合戦での勝利に直結していたのではないかなと思います。

 

ひとたび陣形を崩されてしまえば自軍は混乱状態となり、逃げまどいます。

陣形を復帰させるための通信機能も機能しません。ただただ、個人で戦い、逃げまどうだけです。

人数はいてもそれが纏まっていなければ

イワシの群れが大きな魚に食べられてしまうようにすぐに敗走してしまうのでしょう。

それだけ指揮・統制は重要なことだったんだなと感じました。

 

物を習うには真似から始めろと良く耳にしますが、

戦国時代、当時の軍師たちも今とやってることは一緒なんですね。

真似から始めて自分のものにする。

孫子の兵法などは現在でも、学ばれてる良書ですしね。

次回は軍師の仕事 外交・諜報編です。

それでは、また。

 

つづきはこちら

軍師の仕事 外交・諜報編

 

 

 

 

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